有償ボランティア制

PTA活動を「有償ボランティア制」にする話は昔からあります。

PTA活動を仕事と考えて、活動しない人は年間1万円程度のお金を払い、活動する人はそのお金をもらうという方式です。

最初は良いかも知れません。

出資する側は、堂々と活動を休むことが出来、
活動する側は、経済的支援を受けられるため負担感が減ります。

でも、この運営方法を続けると、次のようなことが予想できます。

出資する側

  • 支払が厳しい家庭には却って不満の思いが増す
  • 数100万円という大きなお金が動くため、その使い道を開示しろという人が現れる
  • お金をもらって楽しそうに活動している人を見ると、無駄遣いしていると疑う人が現れる

活動する側

  • 楽しそうにしていると、出資者から(無駄遣いしているのでは?と)疑いの目を向けられる。
  • 出資者を納得させるために、会計報告、活動報告の詳細資料まで用意する必要がある
  • 同じ活動費をもらっているのに仕事量に差があると不満になる
  • お金だけが目的で参加する人も出てきて、全体の士気が下がる
  • PTA活動を増やしたいのに財源がなかったら、時給を下げる必要がある

お金が絡みますから、どうしても、監視する側、監視される側、あるいは時給換算の比較という形になりがちと思われます。

PTA活動が、お金で片付けて、監視し合う活動になるのは、子供のお手本としては良いとは思えません。

この制度を導入する前に、「活動を減らす」、「PTAそのものを廃止する」という選択も検討したら良いと思います。

悪いPTAなら無い方がましという場合もあります。

PTAが無くても学校運営は可能です。実際にそういう学校も多数あります。

子供たちの安全確保のために、教員が保護者ボランティアを募集するなど、教員の負担は増えるでしょう。

でも、学校運営に強い不満を持つ保護者が減り、代わりに、保護者と教職員の信頼関係が増すのなら、その方が学校と子供たちにとって有益かも知れません。

PTA活動が負担であるのは事実です。残業の時間を削ることで収入が減るということもあります。
その一方で、お金に換えられない人間関係が築けたり、我が子との思い出が増えるなどのメリットもあります。

そこに価値を感じて自分の時間を削ることが出来る人と、お金や私の時間とかにしか価値を感じられない人がいます。(育った環境の影響が大きいと思います)

PTA活動というのは人を選ぶのかもしれません。

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